2010/03/19 (Fri) 23:37
3月17日は学校の卒業式だった。
拙者は1年だからあまり関係のない式典なのだが、そこで校長がひっかかる言葉を言っていた
「面倒なことからやりなさい、そうすれば自ずと変わっていく」
拙者は「面倒なこと」なんて無いと思っていた。
「やりたくないこと」はいっぱいあったが、それは「やる価値がないこと」だと思ってたから。
だが、どうしても気になったので、個人的に校長に話を聞きにいったら
「君がそういう風に考えるのはよくわかるけど、もしかしたら何かを得られるかもしれない。面倒なことを達成すれば、人は必ず成長している」
とな・・・なんかイマイチよくわからない。
しかし、その日に高校時代の旧友と飲む機会があったので、同じことを聞いてみたら
「人に価値を求めていること自体オナニーだ」
と言われて衝撃を受けた。
拙者は1年だからあまり関係のない式典なのだが、そこで校長がひっかかる言葉を言っていた
「面倒なことからやりなさい、そうすれば自ずと変わっていく」
拙者は「面倒なこと」なんて無いと思っていた。
「やりたくないこと」はいっぱいあったが、それは「やる価値がないこと」だと思ってたから。
だが、どうしても気になったので、個人的に校長に話を聞きにいったら
「君がそういう風に考えるのはよくわかるけど、もしかしたら何かを得られるかもしれない。面倒なことを達成すれば、人は必ず成長している」
とな・・・なんかイマイチよくわからない。
しかし、その日に高校時代の旧友と飲む機会があったので、同じことを聞いてみたら
「人に価値を求めていること自体オナニーだ」
と言われて衝撃を受けた。
まず、拙者自身何が引っ掛かってたか、何を校長や旧友に求めたかというと・・・。
卒業式の日にクラスの面子に入った時に、拙者は
「この空間にいたくない」
と思って、2年のところへ逃げてしまった。
そして、その閉会後に、DSの女の子が
「ALさん!やっぱり私はだめだ!あの人たちの中にいたくない!」と言ってきた・・・。
もちろん、拙者には否定する理由もなく、お互いその気持ちを認め合った。
しかし、その時ふと思った・・・このままでいいのだろうか?
こんな同属で傷の舐め合いみたいなことを続けてていいのだろうか?
そこで、そのうやむやを解消すべく校長に話しに行ったわけだ。
校長としては
「君がして欲しいことが相手もして欲しいとは限らない。それを踏まえることが相手を理解することだ。人はそれぞれ違うのだ。面倒な人でも関われば、きっと君の成長に繋がる。」
ということをメインに言っていて、拙者が話したくない、話した結果対話ができないと思った人達と話すように勧めてきたが、それは学校の校長として、学校を活性化させるためのように見えた。だからイマイチ納得できなかった。
で、旧友はというと、いつも通りなかなかいいことを言ってくれる
まず、拙者が名古屋でやったことは身勝手なことだ。と言ってくれた。というのも
「話したいのは君だけであって、向こうは社会的な立場上君とは話したくない」
という話だ。
拙者が声かけること自体はそんなに迷惑でもないだろう。とは思っていたが、そういう問題ではない。
たしかに、拙者は相手のことなんて考えてなかったのだ。
そして、拙者が本題として
「人に関わるにしても全ての人に関わることはできないから、関わる人と関わらない人を選ぶハズで、その基準は価値によって行われる。だから拙者は『一緒にゲーム作る』という目的に合いそうな人と関わる」
と言ったら
「その考えはいいと思うけど、それはオナニーでしかない」
と言われて理解不能だった。
そこで逆に彼に聞いてみた。
「じゃあ君はどういう基準で人と関わるんだ?みんなと関わりたいならそこらの人に話しかけるのか?」
「それはしない。社会的な立場上一般的に話せる人と話す」
と言われた。なるほど。これこそ相手のことを考えてるのかもしれない。
社会的な立場―例えば同じクラスとか―を考えるのは、相手のことを考えてるから以外の何物でもない。
やはり、拙者は自分が話したい人にしか話さないで、身勝手にも、自分がやりたいことだけをやっていたんだ。
相手のことなんて考えずに・・・。
今まで散々言われてきたのに、初めて話しを聞いてあげるだけでも十分なのかもしれないと思った。
相手に合わせることの必要性も理解できた気がする。
ただ、拙者はすぐに周りにそう対応しようとは思えない。
せっかく理解したことを実行するのに、状況に邪魔されたくないから、新1年に対して試験的にその接し方でやってみようと思う。
卒業式の日にクラスの面子に入った時に、拙者は
「この空間にいたくない」
と思って、2年のところへ逃げてしまった。
そして、その閉会後に、DSの女の子が
「ALさん!やっぱり私はだめだ!あの人たちの中にいたくない!」と言ってきた・・・。
もちろん、拙者には否定する理由もなく、お互いその気持ちを認め合った。
しかし、その時ふと思った・・・このままでいいのだろうか?
こんな同属で傷の舐め合いみたいなことを続けてていいのだろうか?
そこで、そのうやむやを解消すべく校長に話しに行ったわけだ。
校長としては
「君がして欲しいことが相手もして欲しいとは限らない。それを踏まえることが相手を理解することだ。人はそれぞれ違うのだ。面倒な人でも関われば、きっと君の成長に繋がる。」
ということをメインに言っていて、拙者が話したくない、話した結果対話ができないと思った人達と話すように勧めてきたが、それは学校の校長として、学校を活性化させるためのように見えた。だからイマイチ納得できなかった。
で、旧友はというと、いつも通りなかなかいいことを言ってくれる
まず、拙者が名古屋でやったことは身勝手なことだ。と言ってくれた。というのも
「話したいのは君だけであって、向こうは社会的な立場上君とは話したくない」
という話だ。
拙者が声かけること自体はそんなに迷惑でもないだろう。とは思っていたが、そういう問題ではない。
たしかに、拙者は相手のことなんて考えてなかったのだ。
そして、拙者が本題として
「人に関わるにしても全ての人に関わることはできないから、関わる人と関わらない人を選ぶハズで、その基準は価値によって行われる。だから拙者は『一緒にゲーム作る』という目的に合いそうな人と関わる」
と言ったら
「その考えはいいと思うけど、それはオナニーでしかない」
と言われて理解不能だった。
そこで逆に彼に聞いてみた。
「じゃあ君はどういう基準で人と関わるんだ?みんなと関わりたいならそこらの人に話しかけるのか?」
「それはしない。社会的な立場上一般的に話せる人と話す」
と言われた。なるほど。これこそ相手のことを考えてるのかもしれない。
社会的な立場―例えば同じクラスとか―を考えるのは、相手のことを考えてるから以外の何物でもない。
やはり、拙者は自分が話したい人にしか話さないで、身勝手にも、自分がやりたいことだけをやっていたんだ。
相手のことなんて考えずに・・・。
今まで散々言われてきたのに、初めて話しを聞いてあげるだけでも十分なのかもしれないと思った。
相手に合わせることの必要性も理解できた気がする。
ただ、拙者はすぐに周りにそう対応しようとは思えない。
せっかく理解したことを実行するのに、状況に邪魔されたくないから、新1年に対して試験的にその接し方でやってみようと思う。
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男性
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専門学校生
趣味:
自転車・科学
自己紹介:
エゴイストだからこそ御節介を焼いてしまう。そういう偽善者こそが「人間」だと思ってる。
・2年間の引き籠り経験アリ
・2年目で大学中退
・2年間の浪人生活
・某宗教団体に参加していた
「共存」に興味があるので、愛読書は自ずとそれ系の「風の谷のナウシカ」「カムイ伝」「寄生獣」、小野不由美の小説。
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